Borderless eyes of sports

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300ヤードオーバーのビッグドライブを放つ、デフゴルフ(聴覚障害者ゴルフ)プレイヤー

みなさんは、デフゴルフというスポーツをご存知だろうか?
聴覚に障害を持った方々による競技ゴルフ、それがデフゴルフ。

生まれつき耳が聞こえない先天性難聴の袖山哲朗さんは、ゴルフ歴25年、日本屈指のデフゴルフプレイヤー。高校生から世界デフゴルフ選手権に8回出場、過去最高は3位という記録を持つ。明るくユーモアたっぷりに話す袖山哲朗さんは、現在(いま)、株式会社ドーム(UNDER ARMOURの日本総代理店)で会社員として働きながらゴルフを続けている。

この日は、ドーム社のゴルフ仲間(全員がベストスコア60台!)とホームグラウンド、茨城ゴルフ倶楽部でリラックスしたラウンドを楽しんだ。

&FLOW(以下、F):まずは、袖山さんがデフゴルフを始めたきっかけから教えてください。

袖山哲朗(以下、S)小学3年生の時、父に連れられてゴルフ練習場へ行き、そこでボールを打つことの楽しさを覚えたのが最初です。デフゴルフとの出会いは、小学生の頃ジュニア大会での活動がスポーツ新聞に掲載され、それを見た日本デフゴルフ協会から連絡をもらったのがきっかけです。

F:お父さんもゴルフがお好きなんですね。

S:父はゴルフが大好きで、私が産まれた日にもゴルフコンペに参加していて、その日ホールインワンしたらしいです(笑)。私は産まれた時からゴルフと縁があったのかもしれません。

F:他にも様々なデフスポーツがある中で、ゴルフ以外の経験は?ゴルフが一番でしたか?

S:小さい頃は野球にも興味がありましたが、いろいろな人が集まってコミュニケーションを取りながら、チームワークでやるスポーツに抵抗がありました。だから父とキャッチボールをやったくらい。バスケやサッカーも同じで、私には難しかったです。
でも、ゴルフはひとりでやるスポーツ。周りのことを気にせず集中してプレーできるから、楽しめたのだと思います。学生は部活動必須のため、個人競技でやりやすい陸上部と駅伝部をゴルフ(ゴルフは個人活動)とかけ持ちで活動していました。大学は日体大へ進学しました。

ゴルフウェア類はもちろん、もちろんUNDER ARMOURの最新アイテムを着用する。
ハワイ・カウアイ島での世界選手から帰国後すぐに今回の撮影&インタビューが行われた。
大会では使用できない補聴器だが、気心知れた友人とのプレイでは、補聴器をつけエンジョイゴルフ!

F:デフゴルフの難しい部分を教えてください。

S:世界デフゴルフ選手権、日本デフゴルフ選手権全国大会など、大会でのプレー中は補聴器の使用が禁止です。それ以外、コンペの時や健常者の方々と一緒にゴルフする時などは、補聴器をつけてプレーしています。
この補聴器をつけてプレーするのと、外してプレーする感覚は大きく違います。補聴器をつけていると、素振りの音とかで今日はいい感じに振れていると感じることができますが、補聴器を外すと全くわからない。
風の音、ボールが落ちる音、転がる音などが聞こえず、耳から入る情報が不足しているため、目で見て判断し、ボールを打つ時の打感だけでプレーします。補聴器を外すと身体のキレがいつもと違うと感じる時があります。大会前には、補聴器なしの感覚に慣らしますが、自分の思った通り打てるようになるには少し時間がかかりますね。

F:プレー中に危険を感じる場面などはありますか?

S補聴器を外すと隣のホールが「ファー」と声を出していても全く聞こえないから、反応が遅くなります。ヒヤリとしたことは何度かありますが、今のところボールが当たって怪我をしたことはないです(笑)。
私はたまにドライバーが暴れる時があるので、隣のホールに打ち込んでしまって相手に怪我させてしまうのではないかとドキドキしています。だから自分の腕を磨いてまっすぐ飛ぶように頑張っています。

300ヤードヒッターの袖山さん、得意のドライバーも今日はちょっぴり“暴れ気味”。

F:デフゴルフプレーヤーとして、ゴルフ場の環境で「こんなところが改善されたらいいな」と思う部分はありますか?

S:一番は、プレー代を安くして、ゴルフしやすい環境を整えてほしいですね。映画館などでは全日障害者料金がありますが、ゴルフはなく、とにかくプレー代が高い。平日は安いですが、会社員の有休数には限りがあるのでそれも難しい。
もうひとつは、手話ができるキャディーさんがいたらうれしいですね。簡単なコースの説明、「ここに池、OBがあります」と教えてもらいますが、もっと細かく教えて欲しい場合はキャディーさんに聞くなどコミュニケーションを取りたいけど、難しい。「もう一回言ってください」とか、それでも聞き取れない時は「紙に書いてください」とか。そのやり取りに時間がかかるとプレー遅延で後ろ組が詰まってしまう恐れがあります。
最近一緒にコースを回った健常者の人が「大丈夫?」と手話を使ってくれてびっくりしました。テレビドラマの影響ですね。

F:ドラマ『silent』ですね。拙い手話で話しかけられるのはどう思いますか?

S会話しやすいし、声かけやすい、安心できます。人によっては口の動きが小さくモゾモゾしていたり、マスクをしたまま話しかけられることでコミュニケーションが取りにくいなと思うと、わからないから遠慮しておこうと、自分で壁を作ったりしてしまう部分もあります。

F:今回の撮影をしたコース「茨城ゴルフ倶楽部」のメンバーとのことですが、このコースの魅力を教えてください。

S:とにかくフラットなコースで、ドライバーをガンガン飛ばせる、攻撃的なゴルフを磨けるところです。日本は狭くて山が多く、アップダウンが激しくトリッキーで狭いコースが多い。でも茨城ゴルフ倶楽部はコースメンテナンスも良く、高速グリーンなどショートゲームを磨くのにも良い練習になります。私は広いコースでガンガン飛ばすアメリカのスタイルが好みなので、相性が良くて好きなコースです。

聴覚に障害を持ったゴルファーにとって、少しでもプレーしやすい環境が整うことが、デフゴルフプレイヤーのすそ野を広げるはず。
イップス克服のために取り組みだした左打ちでのパッティング。今では両打ちでパターが打てるように…

F:パターを右打ち・左打ちの両方でプレーしていたのが印象的でした。

S:ドライバーやアイアンと同様に、パターも元々は右打ちですが、イップスにかかった時にパターだけ左打ちに変えました。左打ちに変えてリラックスして打てるようになると、右打ちもリラックスして打てるようになりました。観ている人の印象に残る“魅せるプレー”がしたいという気持ちもあり、それからはスライスラインに合わせて打ち分けてプレーしています。

F:得意・不得意なクラブは?

S得意なのは、300ヤード級のドライバーショットです。方向性が良くなればもっと安定しますね(笑)。苦手なクラブはアプローチ、バンカーです。小さい頃は遊びの感覚でゴルフをしていたので、目標に狙ってアプローチを打つのが得意でした。大人になると、あれこれ考えすぎて失敗しやすく、いつの間にかアプローチが下手になってました(笑)。
ドライバーは飛距離をアップさせるために練習しているので、アプローチの練習が疎かになって……まぁ単なる練習不足ですね(笑)。

F:クラブ仕様などで特別な部分はありますか?

Sクラブは一般的なクラブと変わらないです。私は、ウェッジ4本、ウッド2本、世界で活躍しているプロゴルファーのセッティングを参考にしています。それから、世界大会のコースに対応できるよう、低い球が打ちやすいクラブセッティングにしています。日本は谷が多いので、高く上げて少し曲がっても戻ってくるのですが、海外は丘が多く、少しでも曲がったら池ポチャやOBなので、風に影響がない、または曲がり幅を抑えるために低い球を打ちます。ただ、海外のコースは地面が固いので球が転がりますが、日本のコースは地面が柔らかくランがあまり出ないので、飛距離を稼ぎにくいのがちょっと悩みです。

世界選手権に出場した日本チームの集合写真。(ご本人提供)
今回の大会では、個人戦は44人中10位、団体戦は7ヶ国中5位の成績だった。(ご本人提供)
今回の大会には、袖山さんの奥様も世界デフゴルフ連盟事務局として帯同。奥様はアメリカ手話のスペシャリスト。(ご本人提供)
世界各地から集まったデフゴルフプレイヤーとハワイ・カイアイ島で競い合う。(ご本人提供)

F:昨年10月のデフゴルフ世界選手権はハワイで行われたとのことですが、いかがでしたか?

S個人戦は44人中10位で、スコアは83、81、78、82。日本代表チームの中ではトップでした。団体戦は7国中、5位。メダルを取れなかったのは悔しいですね。代表チームは国内のコースではコンスタントに70台でまわる実力者が揃っていて、3日目時点で4位、メダル獲得の可能性が見えていました。私は世界大会で久しぶりの団体戦参加、世界大会初参加のメンバー達は大会の雰囲気などにのまれ、本来の実力を発揮できなかった部分があったと思います。

F:次回のデフゴルフ世界選手権は2024年ですね。

S:来年はオーストラリア・ゴールドコースト大会、次回はメダルを狙います。私が初めてデフゴルフ世界大会に参加したのは高校3年生の時、結果は4位でした。次の大学2年生の時は3位、その次は2位になれるかと思ったら8位でした(笑)。学生の時は毎日練習していたけど、社会人になったらゴルフと仕事のバランスが難しく。
でももう社会人になって12年目、いろいろな経験をしたので、ゴルフと仕事のバランスの取り方もうまくなり成績も良くなってきました。なので、そろそろメダルを狙います。2025年は日本でデフリンピックも開催されるので、代表選手に選ばれるよう腕を磨きます。

現在は現役プレイヤーであると同時に、デフゴルフ協会の理事の一人として新たな選手の発掘にも力を入れている。
2025年には日本でデフリンピックが開催される。この大会への出場を目指して技術を磨いていく。

F:現在はドーム社の社員として働かれていますが、日々の練習はどのように?

S:最初、ドーム社には障がい者枠で申し込みましたが、新卒者と同じように入社させていただき、給料なども一般の方々と変わらず、普通に社会人生活、スポーツ活動をしています。午前中は業務、午後からトレーニングとセミアスリート活動させていただいていた時期もありましたが、今は一般の社員と同じように仕事とゴルフを両立しています。
だいたい、平日の夜は週1で練習場へ、週末の1日はコースに出てラウンドしています。試合出場するために有休取得しやすい環境もあり、理解、応援いただいいています。世界大会の際は日本代表のユニフォーム提供などのサポートいただきました。

F:最後に、今後の目標を教えてください。

S:2023年は更なるレベルアップに向けて、関東で行われる月例競技に参加予定です。そして、2024年の世界選手権に向けて、個人戦、団体戦ともにメダル獲得を目指します。
ゴルフは死ぬまでできるスポーツなので、精一杯、悔いのないように頑張りたいと思います。これまでの経験を活かして幅広く活動し、日本デフゴルフ界を盛り上げていけるよう、貢献していきたいと思います。


Profile

袖山 哲朗 / Tetsuro Sodeyama

1988年4月3日生まれ、静岡県出身。
日本体育大学卒業後、UNDER ARMOURの日本総代理店である株式会社ドームに入社。日本トップのデフゴルフ(聴覚障害者ゴルフ)プレイヤーで、ジュニア時代から数々の記録を保持している。現在は、日本デフゴルフ協会の理事も務め、デフゴルフの認知度向上と発展にも注力している。


Photo / Sachiko Fujiwara
Interview & Text / Mayu Suzuki
Art Director / Kazuma Higuchi (Comprime)
Special Thanks / UNDER ARMOUR (https://www.underarmour.co.jp/)

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Mayu

Mayu

Writer

鈴木まゆ / 東京生まれ・茅ヶ崎在住。女性ファッション誌で編集業をスタート。ファッション、カルチャー、ライフスタイルなど、様々な雑誌、ムック、書籍などを担当。現在はエディトリアルから広告物まで、幅広く制作業に携わる。プライベート時間はヨガとゴルフ、家ではドラマを観ながら晩酌の日々。

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