Borderless eyes of sports

Feature

サッカー元日本代表 鈴木啓太が選んだ“アスリートのセカンドキャリア”

鈴木啓太 略歴
2000年 浦和レッズに入団
2006年 日本代表に招集
2015年 浦和レッズ退団・現役引退、AuB株式会社を設立
2016年 代表取締役社長に就任
2019年 フードテック事業に参入
2020年 新種のビフィズス菌を発見、国際特許出願

Embed from Getty Images

すべての人に「コンディショニング」の概念を。“中なら変える” 科学的腸活メソッド。

サッカー元日本代表 鈴木啓太が選んだ“アスリートのセカンドキャリア”

プロサッカー選手として、Jリーグ・日本代表で活躍した鈴木啓太が、2015年、ひとつの会社を設立した。それが、AuB株式会社。指導者でもなく解説やスポーツタレントでもなく、彼が選んだネクストキャリアは「腸内環境の研究」だった。

彼はどのような思いで、これまで歩んできたサッカーと離れた”別の道”を選んだのか。
そもそも、サッカー選手と細菌研究者は、まったく異なる”別の道”なのだろうか。

サッカー元日本代表 鈴木啓太が選んだ“アスリートのセカンドキャリア”

鈴木啓太が、ネクストキャリアとなるAuB株式会社を設立したのは、まだプロサッカー選手として現役生活を送っている最中だった。しかも、AuB株式会社は、サービス業でもなく、販売業でもなく、アスリートの腸内環境を研究し、サービスを開発する「研究開発」型のベンチャー企業として設立された。

アスリートのセカンドキャリアは、一般的には、その知名度・影響力を発揮できるサービスや商品に携わることや、経験・スキルを活かした、指導者や解説者といった、いわゆる“コース”が存在している。ましてや、鈴木啓太ほどの知名度・好感度・サッカー界への貢献度をもってすれば、その道を進むことがそれほど困難ではないことは容易に想像できる。

そんな彼が、起業という選択をしたこと、なおかつ研究機関を立ち上げたということには、いくつかのきっかけがあったという。

サッカー元日本代表 鈴木啓太が選んだ“アスリートのセカンドキャリア”

幼少の頃からいつも母に言われていた言葉

━ 鈴木啓太 ━
“子どもの頃は、そんなに身体が大きい方ではなかったんで、母親がすごく食事に気を遣ってくれていたんですよね。調理師の資格をもっていたということもあって、健康に対する意識、特に食べ物・腸の状態・便に対しての意識というのは、他の家庭と比べてすごく高かったと思います。”

「人間は、腸が一番大事」

「ウンチを観察しなさい」

少年 鈴木啓太は、常にこの言葉を母親から聞かされていたという。
もちろんその当時は、「腸内環境」「腸内細菌」といった言葉を意識するわけでもなく、ただ漠然とあたりまえのこととして、お腹の調子が良ければ元気でいられると捉えていた。しかし、プロサッカー選手となり、腸内環境を整えること=コンディショニングという概念が徐々に形成されてきた。そして、ある決定的な出来事に遭遇したのだった。

それは、2004年アテネオリンピックの出場権をかけた、アジア最終予選UAEラウンドでの出来事。
3週間ほど滞在している中で、代表メンバーがお腹を壊してバタバタと体調不良になっていく様を見たのであった。最後のUAE戦では、実に23人中18人が下痢の状態だったという。そんな中、鈴木啓太はいつもと変わらないコンディションで試合に挑めていた。それは、日ごろから心がけている「腸を整える習慣」の賜物だった。食後には必ず温かい緑茶を飲む、梅干しを食べるなど、幼いころから母親に言われてきた生活習慣が、この大切な場面で自分を守ってくれた。この出来事は、鈴木啓太の未来に大きな影響を与えたのだ。

━ 鈴木啓太 ━
“海外遠征のときは必ず緑茶と梅干は持っていってましたね。あと、高校生の頃から腸内細菌のサプリを飲んでました。その時代には言葉として無かったですけど、今で言う『腸活』の走りみたいなもんですかね。(笑)”

サッカー元日本代表 鈴木啓太が選んだ“アスリートのセカンドキャリア”

研究に基づいた信頼できる商品・サービスを

自身の実体験として、腸内環境がパフォーマンスに大きく影響を及ぼすことを理解した彼は、「すべての人を、ベストコンディションに。」の思いを胸に起業した。しかし、実体験から得た知識・感覚だけでサービスを始めることはしなかった。

根拠・証拠・実績・本質 ━ 商品・サービスを提供される消費者、そして自分自身が確固たる信頼を持てるに値するエビデンスを求めて、「研究」というフェーズから一歩目を踏み出した。当然のことながら「研究」で収益を得ることは難しい。つまり、ビジネスとして成立しにくく、社会的な意義や信念を持っていないと継続することが極めて困難である。それでも、結果として4年間もの時間とコストを費やした「研究」に対するこだわりは、鈴木啓太の思い描く「すべての人を、ベストコンディションに。」の達成に必要不可欠なものだった。

━ 鈴木啓太 ━
“正直、ビジネスのことを分かっていたら、このビジネスモデルはできなかったかも(笑)。全くわからない状態だったから“自分が正しいと思う道をとにかく進む”ってことができたのかな。”

サッカー元日本代表 鈴木啓太が選んだ“アスリートのセカンドキャリア”

1

2 3
  • 記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
Daiki

Daiki

Chief Editor

高橋 乃希 / Webディレクターとして、数多くのサイトやWebメディアの制作・運用を経験。スポーツシーン・キャンプ・アウトドアへの関りも深く、「&FLOW」の編集長に抜擢。★ 野球、格闘技、ゴルフ、ランニング、自転車

  1. 自然の中で一生使える、アウトドア向けのミニ財布を小さいふ専門店が新発売。

  2. 「モンクレール × ウィロー・スミス」デビューコレクションで対照的な世界の衝突を表現

  3. 『Paris Saint-Germain』アパレルシリーズがリリース

PICK UP

RECOMMEND

RELATED

PAGE TOP