サッカーベルギー1部リーグ、シント=トロイデン(STVV)のCEOであり、明治安田生命J1リーグのアビスパ福岡の副社長を兼務、2022年9月からJリーグ「フットボール委員会」の委員も務める立石敬之氏。その多角的な立場から、世界における日本サッカーの現在地を俯瞰で捉えられる希有な存在と言える。
元選手、元指導者として、そして現在は経営者としての豊富な経験を元にした貴重な話を3回に渡って紹介していく。
Vol.01
異国の地=ベルギーでのクラブ運営、
現地スタッフマネージメントへの挑戦。
&FLOW(以下、F):日本人選手が多数所属するシント=トロイデン(以下、STVV)ですが、そのホームタウンであるベルギーのシント=トロイデンはどんな街ですか?
立石敬之(以下、T):多くの人にとっては、まず「ベルギーってどこ?」という話になるかと思います。地理的にベルギーは“ヨーロッパのおへそ”と呼ばれる位置にあります。全人口は約1100万人で面積は九州くらい、首都ブリュッセルにはNATOやEUの本部があり、ワッフルやチョコレート、ビールが有名です。意外なところでは世界中から高品質なダイヤモンドが集まるダイヤモンド大国でもあるんです。
そんな中でシント=トロイデンは、ベルギーの東寄りにある人口約4万人の地方都市で、18世紀に建てられた市庁舎などユネスコの世界遺産に登録された建物もある古風な街です。生活言語はオランダ語で主産業は農業、とりわけ洋梨やチェリー、りんごといった高級フルーツの生産が盛んなところです。イメージ的には甲府や山形などに似ていますが、日本の感覚や基準でいえば「村」ですね。
F:立石さんは2018年にSTVVのCEOに就任されましたが、地元シント=トロイデンの方々と接してみてどんな印象を受けましたか?
T: 土地持ちの比較的裕福な住民が多いこともあって、かなりコンサバ、保守的なメンタリティを持っていると感じました。日本人の気質と似ている部分もあって、基本的にはみな優しいです。
F:そんな保守的な街の伝統あるサッカークラブの経営権を日本企業である合同会社DMM.comが取得し、マネージメントをするようになったわけですが、最初の頃は苦労されたのでは?
T:確かに就任1年目はかなり警戒されていました。実際、ベルギーのマスコミからは「どうせ3年もすれば投げ出すぞ」「日本人選手なんて入れても全く役に立たない」とか、さんざん叩かれました。でも初年度に冨安(健洋/現アーセナルFC所属)が活躍して、1部リーグで一時5位になったり(最終順位7位/16チーム中)、翌年の彼の移籍でクラブに約13億円の移籍金が入ったりしたことで周りの見方が少し変わりました。ただ、その後もマスコミから叩かれることは多かったですけどね。
F:チームの強化以外、クラブ経営や運営面ではいかがですか?
T:クラブの運営には、育成組織も入れると指導者を含めて約100人が関わっていますが、現地スタッフたちの働くことへの基本的な考え方や雇用制度が日本と違いすぎて、最初の数シーズンはストレスがたまりました。リーグ戦開幕の1週間前に、正社員が長期バカンスに出かけて出社しなくなるとか(笑)、日本では考えられないですよね。でも、ヨーロッパ人の多くは<バカンスのために1年働く>という感覚があるようで、開幕前でも平気で休みをとります。そして、開幕の数日後になって普通の顔をして出社してきます(笑)。そういうことに対して、半分はあきらめて慣れること、もう半分はその中で何が正解なのか、経営していくうえで何が一番効率的かを見つけること。それにかなりの時間を割きました。
F:労働者側の権利が強い中でのマネージメントが求められるわけですね。
T:会社に対する帰属意識が低くて、個人としての権利意識が高い。社員一人ひとりが個人事業主のような感覚で仕事をしています。長期バカンスも当然の権利として好きなときにとるし、もしも経営側が認めないとなったら大問題になります。日本でも働き方改革が進められていますが、ヨーロッパではさらに進んでいて、ベルギーだと社員一人あたりの就業時間は週38時間までで、それ以上は絶対に働きません。毎日17時30分になるとオフィスから社員がいなくなります。土日は当然休みです。
でもサッカーの試合ってほとんど土日に行われますよね。クラブのスタッフが現場に誰もいないなんてあり得ないからどうするのかと言うと、実は社員をボランティアとして募って現場に来てもらうことで運営できているのです。日本だと<ボランティア=無償>というイメージですが、欧米の場合は日本で言うアルバイトや副業のことを指します。だから社員は土日にアルバイト感覚でスタジアムにやってくるんです。
F:それは驚きです。ちなみにボランティアへの報酬はどのような形で支払うのですか?
T:ボランティアを管轄しているNPO法人を通して、払っています。
F:クラブをマネージメントするにあたり、経営者として重視していることは何ですか?
T:2つあって、1つは収益構造です。現在、このクラブの総収入の3分の1は、ベルギー国内ではなく日本企業のスポンサーや広告料など日本から送金されてくるものです。サッカークラブとして自国以外の国にスポンサー対応やブランディング活動を行う専任の別部隊を置いているのはベルギーリーグの中ではSTVVだけだと思いますし、ヨーロッパ全体でも多くないはずです。
海外企業がオーナーのクラブだと、その企業や大富豪の経営者が投じる大金が収入の大部分になっているケースが多いのですが、STVVのように他国での露出を増やすなど独自のブランディングをした上で営業収入を増やしていく、そうした活動をしているクラブは世界全体でも数少ない存在だと思います。
F:2つ目は何でしょうか?
T:組織内での評価システムです。これは選手以外のスタッフを対象としたもので、<日本とヨーロッパの雇用感覚の違いをどう乗り越えるか>ということでもあります。僕は今、ベルギーで単身赴任されている日本の社長たちが集まる異業種交流会の代表をしているのですが、そこでも皆さんからよく苦労話をお聞きます。ヨーロッパでは雇用される側の権利が圧倒的に強くて、その最たるものがフランスやベルギーです。フランスではしょっちゅうストライキが起きている印象があります(笑)。日本人の経営者にとっては特に厳しい環境ですし、日本的な経営手法を持ち込んでも、ほとんどの場合、行き詰まってしまいます。
F:社員と経営者側との関係性が日本とは大きく異なるのですね。
T:こちらでは、社員であっても会社と自分の線引きがきっちりしていて、例えばもし他の企業から「そちらは対応が悪いよね」とクレームが来ても、「気持ちは分かるけど」それは私のせいじゃない」と涼しい顔で答えます。それと、自分がいる部署の、さらに自分が担当するタスク以外のことは絶対しません。でも実際には、どの組織の中にも、部署と部署の間に落ちているような仕事や、担当がはっきりしないタスクは意外とたくさんあるものです。それらを放置しておくと企業全体の業績や組織としての評判を落とすことに繋がってしまいます。
その点、日本においては、自分が属している企業や組織の全体的な評判を、社員一人ひとりが大切にする意識が強いために何とかカバーできていると感じます。だからヨーロッパでは、日本企業は対応の良さを含めてすごく信頼されています。それをベルギーのスタッフに同じようにやってもらおうとしても無理なので、日本人社員でカバーしていくしかないのが現状です。STVVのCEOになって6シーズン目ですが、人のマネージメントの難しさは今でも感じていますね。
Profile
立石敬之
シント=トロイデン / CEO
1969年7月8日 / 54歳 / 福岡県出身。長崎・国見高校時代に国体で優勝、ブラジルやアルゼンチンへの海外留学の後、ECノロエスチ(ブラジル)、ベルマーレ平塚、東京ガスFC、大分FC / トリニータなどで選手として活躍。その後、エラス・ヴェローナや大分トリニータ、FC東京にてコーチ、強化部長などを歴任し、2015年からFC東京GMとしてチームの強化に尽力。2018年よりベルギー1部のシント=トロイデン(STVV)のCEOに就任。